御開帳  宝積山 光前寺 ( 2016-04-14 )  

         御開帳  宝積山 光前寺


       
天台宗 宝積山 光前寺は不動明王を御本尊として本聖上人により開創されました。
開祖本聖上人は、比叡山にて研学修行の後、太田切黒川の瀑の中より不動明王
尊像を授かり、貞観二年 ( 860 ) この地に寺を開かれました。以来 千百余年の長い
歳月の間には幾多の火災等により古記録を消失し、明治以降は、多くの末寺等も
廃寺となりましたが、今なお樹齢数百年の杉の巨木に囲まれた境内には十余棟の
堂塔を備えた長野県下屈指の大寺であり、南信州随一の祈願霊場として広く信仰を
集めています。光前寺には昔より霊犬早太郎の伝説が伝えられています。


   
西国三十三観音巡りのお礼参りに 元善光寺善光寺参拝の後 宝積山 光前寺へ。
境内全域約 6.7ヘクタールが、国の名勝に指定されています。


   


   
   仁王門。


   
金剛力士像 ( 駒ヶ根市有形文化財に指定 )
金剛力士像は、大永八年( 1528 )に作られたものです。


        
        参道。


   


        
        杉並木参道へつづく。


        
        三門前から眺めた杉並木参道。


   
   三門。
   嘉永元年 ( 1848 ) 再建。上層に十六羅漢を祀る。


   


   
   十王堂。
   御開帳記念特別拝観 ( 地蔵菩薩 ・ 十王像 ) されていました。


     
     手水舎。


   
   本堂。
   嘉永四年 ( 1851 ) 再建。

         
         回向柱。


   


       名称 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ( 宝積山 ) 光前寺
       本尊 ・ ・ ・ ・ ・ ・ 不動明王 ( 秘仏 )
       宗派 ・ ・ ・ ・ ・ ・ 天台宗 ( 比叡山延暦寺末 )
       開基 ・ ・ ・ ・ ・ ・ 本聖上人
       創建 ・ ・ ・ ・ ・ ・ 清和天皇貞観二年 ( 860 )
       所在地 ・ ・ ・ ・ ・ 長野県駒ヶ根市赤穂29番 地
       TEL ・ ・ ・ 0265-83-2736   FAX ・ ・ ・ 0265-52-4800


         


   


   


     
     霊犬早太郎の墓。


          
          霊犬早太郎の碑。
 今よりおよそ七百年前、光前寺に早太郎という大変強い山犬が飼われていました。
その頃遠州府中 ( 静岡県磐田市 ) 見付天神社では、毎年祭の夜に一人の子女を
神前に人身御供神として供える悲しい習わしが続けられていました。これを救おうと
社僧一実坊弁存は、神仏に祈願して祭の様子をさぐり、子女をさらう怪物が信州の
早太郎を恐れていることを知りました。信州に尋ね入った弁存は、光前寺に早太郎
を探し当て、早太郎を借り、子女の身代わりとなった早太郎の力によって怪物 ( 老
ヒヒ ) は退治され、村の災難は除かれたのです。一実坊弁存はこの報恩のために
大般若経を書写し天神社から光前寺に奉納されました。
以来、早太郎こそまさに不動明王の化身であり、災難除け、厄除の霊犬なりとして
広く信仰をあつめ、今なお見付より報恩の参拝が続けられています。


        
        三重塔 ( 長野県宝 )
        高さ ( 約17メートル ) 文化五年 ( 1808 ) 再建。


   
   鐘楼堂。


   


   


   


        


   


   


   


   


   
   僅か約30分間の光前寺参拝と名勝 光前寺公園の桜見物でしたが
   枝垂れ桜は本当に素晴らしかったです。
   

第13回 西国三十三観音巡り お礼参り・善光寺

       西国三十三観音巡り ・ 善光寺


 
 約一年をかけて愛媛バスときめきツアー 西国三十三観音霊場巡りが、お陰様で
 満願致しました。今回は最後の御礼参りに善光寺へ。


    
    宿坊 兄部坊 ( このこんぼう )
 善光寺には39の宿坊があり,それぞれに御堂があり、住職がいます。住職は
善光寺如来様に奉仕し、その護持に勤めると共に、全国から参拝に来る人々を
仏さまに仕える心でご接待し、お世話をしています。私達はその一つである宿坊
兄部坊に一夜のご縁をいただきました。
 兄部 ( このこうべ ) とは、仏事を取り仕切る職位を意味し、善光寺に代々伝わる
仏教行事 『 堂童子 ( どうどうじ ) 』 に於いて、その職位にあったことにより宿坊は、
『 兄部坊 ( このこんぼう ) 』 と言います。


    
  5:30  大本願参拝 ・ 数珠頂戴に参加 ・  お 朝 事  ( おあさじ ) 参加の
        ため昨夜お世話になった宿坊を出ます。


   


   


   


   
   5:38  大本願前集合。
          宿坊専属の公認案内人がご案内してくださいます。


   
   大本願
 大本願善光寺参道の入口、仁王門手前左手にあります。
浄土宗の大本山で、善光寺の創建 ( 西暦642年 ) 当初からその歴史を共にしてきた
尼僧寺院で、代々の大本願住職、尼公上人が善光寺上人として、その伝統を継承さ
れてきました。住職( 尼公上人 )は代々皇室ゆかりの女性が務め、天台宗大勧進
貫主( 住職 )と共に善光寺の住職を兼ねています。 現在は 浄土宗の大本山で、
山内には 浄土宗の 宗祖法然上人留錫の 伝説があり、 二祖聖光上人と 三祖良忠
上人とが 善光寺如来の夢告により 法縁を 結ばれたり、浄土宗西山派の祖証空上人、
前記良忠上人、その他数多くの浄土宗系の高僧たちにより信濃に念仏の教えが広め
られました。また、孫弟子、諏訪の蓮仏が北條時頼の帰依を受けて善光寺への信仰が
広められ、善光寺信仰が大衆の心に大きく生かされました。


   
   表書院。
 表門の正面に位置し、尼公上人が本堂へお上りなど公式行事に使われる玄関と
なっています。内部は古い型式の広間になっていて、お授けの間ともよばれています。
尼公上人が団体参拝者とのお会い、お剃度式(信徒の希望により尼公上人から髪に
カミソリをいただいた上、仏さまのお弟子となった法号を授かる儀式 )が行われます。
秋のお十夜行事の期間中は、毎夜お説教が行われ、お上人より利剣名号を授かる
ところでもあります。


          
          ひとにぎり地蔵尊
   善光寺上人第百二十一世鷹司誓玉台下が不安要素の多い現生において
   普く信徒の幸せを願い、平成二十四年十二月建立されました。
   辛いとき、、悲しいとき、苦しいとき、左手で力をいれてギュツと ひとにぎり
   安らぎと みなぎるパワーをいただけるでしょう。
                  ひとにぎり地蔵尊 説明板より 


   
   明照殿。
大正3年法然上人の明照大師号をいただいて建立され、平成20年に改築されました。
大広間は、経文わり出しの御殿といわれて108畳敷き、正面に善光寺如来が安置され、
ここでも法要が行われたり、講演、講習会が催されたりしていますが、参詣者の休憩の
場にも供されています。


       
       明照殿扁額。


    
 大本願内の明照殿には、本田善光像 ( 善光寺の開山 ) が安置されています。


   
       善光寺のご本尊を背負っている姿に手をあわす。


   


      
左の入り口からはいり、尼公上人が団体参拝者とのお会いお授けの間へ。
自動的に襖が観音開きにひらくと、気品漂う美しい尼公上人のお姿があり
透き通るようなお声で、お言葉をいただきました。


   



仁王門。
現在の仁王門は、当県山形村の 永田兵太郎をはじめとする全国信徒の篤志により
大正七年 ( 1918年 ) に再建されました。間口約十三メートル、奥行き七メートル、
高さ約十四メートル、屋根は銅瓦葺です。
仁王像及び背面の三宝荒神像 ・ 三面大黒天像は、近代彫刻の巨匠高村光雲
米原雲海の合作です。 「 定額山 」 の額は 伏見宮貞愛 ( さだなる ) 親王の御筆に
よるものです。                       仁王門前駒札より


   
仁王像は、高村光雲米原雲海の合作による彫刻です。
善光寺の仁王像は通常とは逆で、左側に阿形を置いています。 「阿形」は左手に
金剛杵を持ち右肩を上げています。   右側の「吽形」は左手を振り上げて右手を
まっすぐばしています。


   


      
仁王門の背後右裏には竃神、火伏せの神として広く信仰されている「三宝荒神」を、
左裏には大黒・弁財・毘沙門の各身が合体した「三面大黒天」が安置されています。


   
   仲見世通り。


    
    旧如来堂跡。


         
         延命地蔵尊。
 善光寺本堂は、古くは如来堂とよばれ、皇極天皇元年 ( 642年 ) の創建から
元禄十三年 ( 1700年 ) までの間は この場所にありました。
この地蔵尊は旧本堂内の瑠璃壇 ( ご本尊・善光寺如来さまをご安置した壇 ) の
位置に建てられています。            延命地蔵前駒札より    


   
   延命地蔵尊と向かい合うように 釈迦堂が建っています。


   
      善光寺 世尊院   釈迦堂
   釈迦涅槃像  ( 国指定重要文化財 )
    天延三年 ( 973年 ) 越後国古多ヶ浜より漁師の網にかかり出現せられ、
    その後当寺へ奉送された。
   毘沙門天  ( 市指定文化財 )
      善光寺七福神
   不動明王右、本尊並び両脇侍は戸張 ( 幕 ) 内にあり、特別拝観日のみ
   御開帳される。
   一光三尊阿弥陀如来  ( 市指定文化財 )
   開運 摩利支天像             釈迦堂前駒札より


   


   
   駒返り橋。


  仲見世通りが終わり、山門へ進む参道の
 入り口にある石橋は、建久八年(1197年)
 頼朝が善光寺を参詣した時に馬の蹄が穴に
 挟まってしまった為に駒を返したという話から
 「駒返り橋」と呼ばれています。
 その馬蹄の凹みは現在も 「 駒返り橋 」 の
 左側に見ることができます。
 


        
        濡れ仏。
濡れ仏は享保7年 ( 1922 ) に造立されたもので、像高は 2.68メートルあります。
銅像坐像で、右手に錫杖 ( しゃくじょう ) を持ち、左手に宝珠 ( ほうじゅ ) をもって
います。水内群普光寺の真栄僧法誉円信が建立したものです。
江戸の大火を出した八百屋お七の冥福を祈って、吉三郎が立てたという伝説も
あって有名な延命地蔵です。


   
   大勧進
 山門に向かって西側にあれます。大勧進善光寺の山内天台宗の本坊です。
もともと勧進というのは、「 仏法を説き作善をなすよう勧誘策進することであり、転じて
神仏のための寄付を勧める 」という意味であり、大勧進というのはその元締め的存在
を指します。 大勧進とは役職名でしたが、善光寺ではこの役職名が寺名として残った
ことになります。  大勧進天台宗大本山善光寺25ヶ院の本坊として、住職は
貫主 ( かんす ) と呼ばれており、善光寺の住職を兼ねています。貫主は代々比叡山
延暦寺より推挙される慣習があります。 江戸時代には、大勧進善光寺の運営に
あたっていました( 現在は大勧進大本願が運営しています ) 
また、大勧進の境内にある位牌堂には、武田信玄上杉謙信の位牌があります。
他にも厄除け不動明王が安置されている護摩堂などが有名です。
 

 
  山門 ( 三門 )
 駒返り橋を過ぎ、右側に六地蔵と濡れ仏を過ぎて、石段を上がったところが山門です。
山門は桁行き約20.4メートル、梁行き約8メートル、高さ約18メートルの入母屋造りの
大楼門です。 5年の歳月を経て、寛延3年(1750)に建立されました。
長い歴史を持つ山門は、1847年の善光寺地震などに耐えてきましたが、建物や屋根の
老朽化が進んでいました。 そこで、2002年より平成の大修理が行われ、2007年12月に
5年の歳月を経て建立時の姿が復活しました。   山門の内部 ( 門の2階部分 )には、
四天王に囲まれた木像文殊菩薩坐像、四国八十八ヶ所の札所本尊を模刻した百体仏が
祀られています。 文殊菩薩坐像が安置されていることから、 山門のことを 「 知恵の門 」
とも呼ばれています。


    
     善光寺の額 ・ 「 鳩字の額 」
      正面には有名な 「 善光寺 」 の額が掲げられています。


          
   通称「鳩字の額」とも呼ばれており、良くみると鳩が五羽隠されています。 
   また 善光寺の 「 善 」 の字が 牛の顔の形に 見えると言われ、ここからも、
   「 牛に引かれて善光寺参り 」 の信仰を伺い知ることが出来ます。
   現在の額は 昭和59年〜平成元年に行われた 「 国宝善光寺本堂昭和大修理 」
   の際に掛けかえられたもので、古い額は善光寺資料館に展示されており、見る
   ことが出来るそうです。


   


   
   授与品所。


    


          
          ここにも 「 鳩字の額 」 がありましありました。


   
   山門 ( 三門 ) 裏へ集合。


    


    
    数珠頂戴に参加するために待っています。
 お数珠頂戴は、貫主や上人が参道を往復される際に、石頭にひざまずいて手を
合わせ、お二人から数珠で撫でてもらいます。功徳を授かる機会として、地域にも
根付いておりお朝事の際には多くの人が参道でひざまずいて待機しています。


   
 お数珠頂戴は料金が必要ではありませんが、法要を勤める導師 ( 大勧進貫主
大本願上人 ) が お朝事のために本堂へ進まれる際に頂戴するものなので、その
タイミングで参道にひざまずいて待っている必要があります。誰でも参加することは
可能で、お二人の昇堂時と下堂時のチャンスは4回あります。



   
 大勧進より本堂へ お朝事のために 導師様が出てまいられました。


   
 ひざまずいて手を合わせ、導師様より数珠で撫でて戴き功徳を授かります。


   


   
   お朝事法要のため本堂へ入られます。


 
 善光寺本堂 ( 国宝 )
 現在の本堂は、宝永4年( 1707 )に7年の歳月を経てに完成しています。
元禄13年( 1700 )の火災の後に徳川幕府松代藩に命じて造られたもので、設計は、
幕府お抱えの名匠である、甲良豊前宗賀 ( こうらぶぜんそうが ) がおこなっています。
 本堂は、間口 23.89メートル、高さ 25.82メートル、奥行き 53.67メートルという壮大な
伽藍は東日本最大で、最奥部にある仏堂の手前に広大な礼堂 ( らいどう ) を繋ぐ棟の
形が、鐘を叩く撞木 ( T字型 ) に似ていることから 「 撞木造り ( しゅもしづくり ) 」 と呼ば
れています。 明治28年には、国宝に指定されました。


「 お朝事 」 参詣のため本堂へ、本堂内では写真撮影は禁止されています。善光寺
参拝のしおりの写真をお借りします。
》 外陣 ( げじん ) 改札の外に拡がる板敷の空間が
外陣です。 その右側には、妻戸台と呼ばれる舞台が

         
あります。 その右側には びんずる尊者 ( 撫で仏 )
↑ 参拝の順路 拡大     安置されています。 びんずる尊者はお釈迦様の弟子、
十六羅漢の一人で、この像に触れると その神通力にあやかり、病気を治していただく
信仰があります。  妻戸台との間には 親鸞聖人お花松があります。  鎌倉時代
親鸞聖人が参詣の折り、ご本尊に松を捧げられたのにちなみ、現在でも生けられて
いるものです。

 
》 内陣 ( ないじん ) 改札を入り、右手
畳敷きの内陣へ進みます。 頭上の欄間で
燦然と輝くのは 来迎二十五菩薩像 で、
手に手に楽器をたずさえ音楽を奏でながら、
極楽よりお迎えに来て下さる姿を示しています。
一番左側の 句画中央に、誰も 乗っていない
蓮台があります。善光寺にお参りになった皆さ
んが極楽へと旅立つときのために用意されたものだといわれています。 その左右には、
西国、坂東、秩父の各観音札所の観音像が安置されています。善光寺はこれら霊場
番外札所となっており、満願された方々がお礼に善光寺ヘ参詣する習わしがあります。


 《 》 御本尊 ・ 一光三尊阿弥陀如来
 内陣左側の 焼香台より焼香台、金襴の
お戸張が懸かるところが瑠璃壇 ( るりだん )
で、秘仏の御本尊が愛知されています。 
このお戸張りは法要時には上げられ、ご本尊
を安置する宮殿を拝することができます。
善光寺 御本尊の 一光三尊阿弥陀如来 ( いっ
こうさんぞんあみだにょらい ) さまは、欽明天皇の十三年に百済から日本へお渡りになった
日本最古の仏像です。 御開山本田善光卿によって皇極天皇の元年 ( 642 ) 、当地に
祀られましたが、その後絶対の秘仏となられました。善光寺信仰は、日本仏教の根本
ともいうべき この御本尊にたいする信仰で、そのため、宗派を超えてすべての人々を
受け入れることを旨としてきました。


 《 》 御開山  本田善光卿
 内陣右側の焼香台より内々陣奥を拝すると、
善光寺を開かれた 本田善光卿と その家族、
奥方の弥生の前、ご子息の善佐 ( よしすけ )
お祀りする 御三卿の間があります。
 善光寺の寺号は、善光卿の名に由来すると
いわれています。  七年に一度の 前立本尊
御開帳では、ご本尊の分身である 前立 ( まえだち ) 御本尊が、宝庫より この御三卿の間
左寄りにしつらえられた 御仮屋へと還座されます。


  《 》  お戒壇 ( かいだん ) めぐり
念 内々陣の右側を通って奥へ進むと 「 お戒壇
めぐり 」 の入り口があります。お戒壇めぐり
は、ご本尊の安置される瑠璃壇下の真っ暗な
回廊を通り、中程に懸かる 極楽の錠前 を探り
当てて、秘仏の御本尊と結縁する道場です。
右手で腰の高さの壁を伝わって進みます。
戒壇の入口には、タイ国より贈られた仏舎利 ( お釈迦様の御遺骨 ) と お悟りを開かれた
お釈迦様の像が安置されています。


      お 朝 事 ( あさじ )
 善光寺参りの醍醐味を味わうには、毎朝
行われる お朝事に参詣、清新な朝の空気
の中、本堂に 全山住職の厳かな読経が
響きわたり、祈りの聖地として脈々と伝え
念られてきた善光寺本来の姿にまみえること
ができます。 お朝事に付随して行われる
回向では、先祖供養や祈願 が行われ、 ( 宿坊にて心願成就成就祈願を申し込んで
いたので ) 内々陣にて法要に参列することができ、名前と願い事を読み上げていただき
ました 。


            
           御本尊   一光三尊阿弥陀如来 御前立


                札所等・・・・・西国三十三所 ・ 坂東三十三箇所
            ・ 秩父三十四箇所( 各番外札所 )
  名称・・・・・ 信州 善光寺   ( 山号・・・定額山 )
  本尊・・・・・ 一光三尊阿弥陀如来 ( 絶対秘仏
  宗派・・・・・ 無宗派
  開基・・・・・ 皇極天皇( 勅願 )
  創建・・・・・ 皇極天皇三年( 644年 )
  所在地・・・・・ 長野県長野市元善町491 
     


    


          


     
     7:53  宿坊に戻り。


    
 7:58  朝食 ( 精進料理 ) をいただきます。
 朝食の後 宿坊兄部坊をでて、出発時間までには時間の余裕があるので境内の
 散策とお土産の購入に。


    


    
    白蓮坊 
 本尊は八祖大師像。むじな燈籠の伝説にちなむ 「 むじな地蔵 」 を安置する。
ブロンズ像の台に刻まれましたのは、相馬御風 ( そうまぎょふう ) 先生の作になる
「 むじな灯籠 」のうたです。


     
白蓮坊の 「 むじな地蔵 」 は、この「 むじな灯籠 」 の伝説にこめられた、善光寺如来
無縁の慈悲の世界を、東京芸術大学大学院教授の籔内佐斗司 ( やぶうちさとし ) 先生が、
天真爛漫な童子形のお地蔵さまと健気なむじなの姿で表してくださったものです。
白蓮坊内には木造彩色の像、参道脇にはブロンズ像をお祀りしてあります。


  


    
    もう一度仁王門を入ります。


    


   
   「 愛媛バス 西國三十三観音参拝団様 」の看板があるお店に。


    
    お土産を選びます。


  


   


    
 むじな灯籠は探し回ったのですが残念、何処にあるのか分かりませんでした。


        


        
        善光寺日本忠霊殿
  戊辰戦争から第二次世界大戦までの戦争で亡くなった、約二百四十万柱の英霊を
祀る仏式霊廟です。明治三十九年 ( 1906年 ) に創建され、昭和四十五年 ( 1970年 ) に
現在の姿に改築されました。一階には善光寺ゆかりの宝物を展示する 「 善光寺資料館 」
が併設されています。              善光寺日本忠霊殿 駒札より

  
   
   9:30  善光寺大本願 駐車場より 駒ヶ根市の 宝積山 光前寺へ向かいます。


     下は昨夜お世話になった宿坊 兄部坊 ( このこんぼう ) の様子です。

           宿坊 兄部坊 ( このこんぼう )  2016-04-13


    
    17:45  大本願 駐車場に到着。


    


    
    宿坊は仁王門のすぐ近くにあります。


     
     朱色の宿坊 兄部坊の門を入ります。


          
          中に入ると正面にお花が活けてあります。


    
    2階の和室に入るとお茶が用意されています。


    
 お茶とお菓子 ( 落雁 ) を戴きながら、翌朝の 「 お朝事 」 の説明を受けてから
回向 ( 先祖供養や祈願 ) の申し込みをします。ちなみに私は 「 心願成就祈願 」
の申し込みをしました。


    
    18:30  夕食 ( 精進料理 ) の用意が出来ました。


        


   


    


    


    
  

    


   


   
   19:05  部屋に入ると布団が並べられています ( 修学旅行を思い出す )
          2人部屋もありますが部屋の数が限られています。


   
   1階の浴室へ ( トイレや浴室は共同利用のためしばらく順番を待ちます )
   ひのきの浴室で、身体を清め部屋にて就寝。楽しい思い出になりました。   

第13回 西国三十三観音巡り お礼参り・元善光寺

        西国三十三観音巡り ・ 元善光寺


   


   
   【 元善光寺縁起 】
 推古天皇十年に信州麻績 ( おみ ) の里 ( 現在の飯田市座光寺 の住人 本多善光
( ほんよしみつ ) 公が、国司の供をして都に上がった時に、難波の堀にて 阿弥陀如来
様にめぐりあい生まれ故郷へお連れし、お祀りしたのが元善光寺の起源です。
その後 皇極天皇元年に そのご本尊様は現在の長野市遷座され、出来たお寺が
善光公の名をとって「 善光寺 」と名づけられました。それから飯田の方の当山は勅命
によって木彫りで同じ 御尊像が残され 「 元善光寺 」 と呼ばれるようになったのです。
 その時、仏勅によって   「 毎月半ば十五日間は必ずこの麻績 ( おみ ) の古里に
帰りきて衆生を化益 ( けやく ) せん 」   という ご誓願を残されたとのことで、長野の
善光寺と 飯田の元善光寺と両方にお参りしなければ片詣りと云われている訳です。


         
         14:24  元善光寺到着。


   
   山門。


    
           ⇒ 定額山   元善光寺  境内図  拡大


   


          
          回向柱 ( 供養塔 )


   
   本堂。


    


          



 名称・・・( 定額山 ) 元善光寺
 通称・・・坐光寺
 本尊・・・善光寺如来
 宗派・・・天台宗
 開基・・・伝・本多(本田)善光
 創建・・・伝・ 推古天皇10年(602年)
 所在地・・・長野県飯田市座光寺2638
 TEL・・・0265-23-2525
 FAX・・・0265-52-5555


          


   
   お勤め。


         
         お賓頭盧様
     お釈迦さまの直弟子の びんずるさまは 「 なで仏 」 といわれ、
     病気の人が、この像をなでた手で 自分の悪いところをさすると
     病が治ると信じられています。


      
      手水舎。


   
   本堂でのお勤めを終えると時間の余裕が無いので皆さんの後を追って
   舞台桜見物に・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


   
   矢場。


   


   


         


   


   


    
長野県宝  旧座光寺麻績 ( おみ ) 学校校舎。    昭和六十年十一月二十一日指定
 この校舎は 明治六年に歌舞伎舞台と学校を兼用するように建てられたもので、
学校建物としては県下で最も古いものです。
 大屋根の棟には建設当時の校名 「 麻績小校 」 が記されており、昭和五十九年
までの百十一年間、学校として活用されていた貴重な建物です。  また、農村の
歌舞伎舞台としては県下最大級で、全国的に珍しいものです。
 建物の構造は、木造二階建 ・ 一部三階建 ・ 桟瓦葺入母屋造で、正面一階は
歌舞伎舞台、二階は教室として計画されました。一階正面には長さ八間の梁を渡し、
その左右の 太夫座、下座部分には二段の格子窓があります。 舞台裏は一階が
土間床、二 ・ 三階は畳敷きの部屋となっています。
 平成九年三月に復元整備工事が完了し、建設当初の姿が蘇りました。
   平成十一年七月    飯田市教育委員会   座光寺麻績学校校舎説明板より


   


 
 麻績の里 ( おみのさと ) 舞台桜。


   
この桜は 五弁から十弁の花が交じり合って咲く姿から 「 半八重枝垂れ紅彼岸桜 」
とも呼ばれています。推定樹齢350年、旧座光寺麻績学校校舎 ( 舞台校舎 ) と共に
子供たちの成長を見守ってきた桜です。


 
 お天気が悪くて残念ですが、何処から眺めても素晴らしい舞台桜です。


   


   
   竹田扇之助記念   国際糸操り人形館   


       


   竹田扇之助は、NHK人形劇シリーズ
  などで大活躍した、糸操り人形劇団
  「竹田人形座」の主宰者です。
  竹田扇之助記念国際糸操り人形館は、
  その竹田扇之助を記念し、竹田人形座
  で使われた喜之助人形や糸操り専用の
  舞台を展示しています。
         人形の写真お借りしました。



   
   麻績神社。
元々は八幡社とだけ呼ばれていましたが、座光寺地区の大地主で、有力者であった、
北原稲雄氏が " 麻績 " という言葉を大変気に入り、明治六年から神社の名称に使う
ようになり、現在に至る。   時間が無いのでお詣りできませんでした残念。


   
   石段を降りて、石塚古墳へ。


         
         石塚古墳 「 石塚桜 」


   
石塚第 一 ・ 二 号古墳      共に横穴式石室を持つ円墳であり、築造年代は
六世紀後半と推定される。一号古墳は、径二一.八m、高さ二 .八 〜 三 . 三mで
石室は長さ八 . 五m、高さ二 . 八m、程ある。大きな天井石五枚をのせている。
玄室 ( 遺体を葬る部屋 ) と、羨道 ( 入口部 ) の区別は不明であり、平面形は梯形
側壁と奥壁は斜めに交わる。石室の大きさは坐光寺最大で、二号古墳も、ほぼ同
規模である。出土遺物は、円筒埴輪、須恵器の他は不明。二号古墳は一号古墳の
西南一七mに位置する。             石塚第 一 ・ 二 号古墳説明板より


   
   石塚桜は もうすっかり葉桜に。


   


   


   


   
   遊歩道沿いに つくしを見つけて大喜び・・・・・・・・・・・・・・・・・・


       


   


   


   


         


   
   15 : 20 元善光寺出発 約56分、1時間足らず 慌しいお詣りでした。
 次にお邪魔する機会があれば時間をかけて ゆ〜っくりと散策できればと・・・。


   
   今夜の宿、善光寺宿坊へ向かいます。


           宿坊 兄部坊 ( このこんぼう ) 


    
    17:45  大本願 駐車場に到着。


    


    
    宿坊は仁王門のすぐ近くにあります。


     
     朱色の宿坊 兄部坊の門を入ります。


         
         中に入ると正面にお花が活けてあります。


    
    2階の和室に入るとお茶が用意されています。


    
 お茶とお菓子 ( 落雁 ) を戴きながら、翌朝の 「 お朝事 」 の説明を受けてから
回向 ( 先祖供養や祈願 ) の申し込みをします。ちなみに私は 「 心願成就祈願 」
の申し込みをしました。


    
    18:30  夕食 ( 精進料理 ) の用意が出来ました。


       


   


    


    


    
  

    


   


   
   19:05  部屋に入ると布団が並べられています ( 修学旅行を思い出す )
          2人部屋もありますが部屋の数が限られています。


   
   1階の浴室へ ( トイレや浴室は共同利用のためしばらく順番を待ちます )
   ひのきの浴室で、身体を清め部屋にて就寝。楽しい思い出になりました。

第1回 西国三十三観音巡り 第一番 那智山 青岸度寺

  第1回 西国三十三観音巡り 第一番 那智山 青岸度寺

        


   
   【 青岸度寺 縁起 】
 四世紀頃 仁徳天皇の御世 ( 313〜399 ) 、インドの僧、裸形上人が修行を求めて
川を進むうち、那智大滝に辿り着いた。133m の滝に感動し この地で修行をしていると
滝壺に観音を感得して庵を結んだのが始まりと伝わる。
 その後、推古天皇御代 ( 592〜628 ) に大和の 生仏 ( しょうぶつ ) 上人が この地で
修行中、椿の大木に高さ 約4m の如意輪観世音菩薩を刻み、伽藍を建立して安置した。
この観音像が「 那智の観音さま 」 として庶民の信仰を集めた現在の本尊である。
 中世には 十三社権現、七堂伽藍、三十六坊舎があったが、天正 9 ( 1581 ) 年
織田信長の兵火で全山が炎上。本堂は天正18 ( 1590 ) 年豊臣秀吉によって再建された
 明治の神仏分離令によって一時は荒廃するが、その後如意輪堂を本堂とする青岸度寺
として、熊野那智大社と分離して復興した。


        
        那智御滝 飛龍神社。
        落差・・・113 m 。 銚子口の幅・・・13 m 。 
        滝壺の深さ・・・10 m 。


        


   
 那智大滝那智原始林から流れ出ている大川の流れがこの断崖にかかり落下して
日本一の名瀑であり世界遺産で国の名勝となっています。


        
        那智御滝 飛龍神社からバスで 青岸渡寺参道口へ移動。


   
   参道には約500段の石段が続き両側に土産物店が並んでいます。


     
     参道の途中に郵便局も。


   


   
   左が 那智大社、右が青岸度寺への分かれ道で先達さんが待っています。


   
   右の石段を上り左に少し歩くと。


        
        石段の上に山門が見えてくる。


   
金剛力士像 ( 鎌倉時代の仏師 湛慶の作と伝えられる )


   


        
        山門を入ると更に石段が続きます。


     
     手水舎。清浄水 ( 延命の水 ) 水源 那智の大瀧。


         
         ユネスコ世界遺産
     平成16年7月、「 紀伊山地の霊場と参詣道 」として熊野三山
     世界遺産に登録された。


   
   本堂 ( 国指定重要文化財 )
   豊臣秀吉の再建で 杮葺 ( こけらぶき ) 入母屋造り、南紀州では最古の建物。


         
              本尊・・・・・如意輪観世音菩薩像。


   


   


   


     
    日本一の大きさを誇る重さ450kg直径1.4mの豊臣秀吉寄贈の大鰐口。


   
   お勤め。

 
    


      本尊真言・・・・・・・・おんはんどめい しんたまに じんばら うん

  札所等・・・西国三十三観音霊場 第一番札所
  名称・・・ 那智山 青岸度寺 ( なちさん せいがんとじ )
  本尊・・・如意輪観世音菩薩  
  宗派・・・天台宗
  開基・・・裸形上人
  創建・・・仁徳天皇御代 ( 313〜399 )
  所在地・・・和歌山県那智勝浦町那智山
  青岸度寺 散華       TEL・・・0735-55-0001


   


         
         香炉の縁には 煙の中を覗き込むような獅子の像。


   
   那智山熊野権現山門。


         
         樟霊社 胎内くぐり。
     樹齢800年余りの 老樟の空洞に入り無病息災を祈願出来ます。
     護摩木に記名して、それを持つて通り納めてくださいと・・・・・・・


   
私も胎内くぐりに挑戦。              梯子をり上り外へ出ます。


   
   樟の胎内をくくり出口の樟の上からの風景。


        
        那智の楠 ( くす ) は天然記念物で和歌山県指定文化財


   
   熊野速玉大社。


     


   


     


   
   御県彦社 ( 建角身命 ) 八咫烏・交通安全守護。


        
      ここにも熊野の神の使いといわれる伝説の鳥 八咫烏が描かれています。


 
 熊野那智大社境内。


   


   


 
 青岸渡寺境内より、急いで三重塔の辺りまで下りて行きます。


         


 


         
       ここまで来たのですが 残念もう時間の余裕がありません !!


   


   


   


   
   やっとみんなに追い着き、参道口より、バスにて大門坂へ。
 

第1回 西国三十三観音巡り 第三番 風猛山 粉河寺

    第1回 西国三十三観音巡り 風猛山 粉河


   
   【 粉河寺縁起 】
 国宝[ 粉河寺縁起絵巻 ]によると、宝亀元年 ( 770 ) 、粉河の猟師・大伴孔子
( おおとものくじこ ) が風猛山で獣を追っていると地面が光を放っている場所を見つけ
庵を建てたが、安置する仏像がない。  そこへ童姿の行者 ( 童男行者 ) が現れ
7日の間に 仏像を作ることを約束した。  7日目に 庵を開けると 行者の姿はなく
千手観世音像が立っていた。孔子古はその観音像を大切に祀ったという。これが
粉河寺の始まり。寺は鎌倉時代に最盛期を迎えるが、豊臣秀吉紀州攻めにより
堂宇伽藍の大半を焼失。 現在の諸堂は 江戸中期に紀州徳川家の保護によって
再建されました。
西国三十三観音霊場巡拝のご縁をいただいたのが、紀三井寺と ここ粉河寺です。

  ⇒ 2011年5月21日、高野山へ御礼参りの途中粉河寺へ参拝
 今回は、主人の写真と一緒にお参りをしました。


   
交通案内図。 ⇒ 拡大。  ( 粉河寺パンフレットより )  境内絵図。  ⇒ 拡大。  


   
   粉河寺大門 ( 重要文化財 ) 江戸時代。
   規模の大きい三間楼門で和歌山県では高野山根来寺に次ぐ威容を誇る。
   寛永四年 ( 1706 ) の建立、総欅造り。     粉河寺パンフケットより


         
               大門前の寺標。


     
            大門 [ 粉河寺 ] の 扁額。


   
金剛力士像。
金剛力士像は仏師 春日の作と伝われ、尊像の用材は桂の巨木。


   


     
     不動堂。   弘法大師爪彫不動尊を安置す。


   

 童男堂 ( 県指定文化財 ) 延宝7年(1679年)の建立とされ、千手千眼観世音が
 姿を変えたといわれる童男大士が本尊として祀られている。


      
 出現地。本尊 千手観音の化身 童男大士 ( 童男行者ともいう ) が柳の枝を手に

 白馬に乗って出現したと伝えられる。


     
     馬蹄石。


     
     正面に童男大士 ( 童男行者ともいう ) 像。  

童男大士は現世利益の仏として特に病気平癒の霊験あらたかにして、祈願成就

すれば、この池に放生をする風習があるそうです。


     
     左に三角堂 ( 千手観音安置 )


   
念仏堂。光明殿ともいう 阿弥陀如来を安置す。江戸時代後期の建造物総欅造り。


   
   粉河阿弥陀如来坐像 ( 露座仏 ) 市指定文化財

   市指定文化財 粉河寺御池坊庭園 ( 非公開 )


       
       太子堂 ( 聖徳太子を祀る )


   
   放生池。


     


   


   
手水舎。                       盥漱盤(かんそうばん)

      
  

   
   中門 ( 重要文化財指定 ) 天保三年 ( 1832 ) の建立で 四天王を祀る。


      
      山号の 扁額 「 風猛山 」 は紀州十代藩主 徳川治宝候の直筆。


   
正面左側、多聞天。               正面右側、広目天


   
背面左側、増長天。               背面右側、持国天


   
   中門を入ると 裏側は優美な構えに。


 
 本堂と庭園。


   
   国指定 名勝 粉河寺庭園 桃山時代の石庭。
   崖地を巧みに利用してつくられ枯山水鑑賞式蓬莱庭園とよばれています


   
   本堂 ( 重要文化財 ) 。 八世紀 ( 770年 ) の創建以来数度の造営と改造を
   繰り返し、現存の本堂は 享年五年 ( 1720 ) に再建された。江戸時代中期の
   欅材による代表的な建築で 西国三十三ヶ所の中では最大である。
   他に類例を見ない 特異な形態で、一重屋根の 礼堂と二重屋根の 正堂とが
   結合した構成を持つ複合仏堂の形式である。   ( 粉河寺パンフレットより ) 


         


   


         
       拝殿上の懸仏 ( かけぼとけ ) 本尊・千手観世音菩薩


    
         本尊真言・・・・・・・・おん ばざら だるま きりく
 


  札所等・・・西国三十三観音霊場 第三番札所
  名称・・・ 風猛山 粉河寺( ふうもうざん こかわでら )
  本尊・・・千手千眼観世音菩薩  
  宗派・・・粉河観音宗
  開基・・・大伴孔子( おおとものくじこ )
  創建・・・宝亀 元 ( 770 ) 年
  所在地・・・和歌山県紀の川市粉河2787
  粉河寺 散華       TEL・・・0736-73-4830


   


     
     本堂にて お勤め。


     
     賓頭盧尊者


   
   鐘楼堂。奥の赤い鳥居は産土神社、その右奥は十禅律院。
      ⇒ 2011年5月21日、芍薬の花につられて十禅律院参拝 。   


   
 六角堂 ( 西国三十三観音を安置 ) と左に湯浅櫻 ( 紀州湯浅の住人藤原宗永が
 当山本尊千手観音のおつげによって 本堂の 巽 ( 東南 ) の方に植えたもので
 これを湯浅櫻という。   立て札の説明より


   
   丈六堂 ( 1丈 六尺の略 )


          
                    阿弥陀如来坐像。


   


          
          大門を出て右側に大神社の楠。


     


          


       


   
   門前の赤い橋を戻り、お土産屋さんの駐車場へ。

第1回 西国三十三観音巡り 第二番 紀三井山 金剛宝寺〔 紀三井寺 〕

  西国三十三観音巡り 第二番 紀三井山 金剛宝寺紀三井寺


   
  【 紀三井寺 縁起 】 
 宝亀元年 ( 770 ) 、唐僧為光上人によって開基。和歌山城からほど近いところに
あるため、歴代藩主が訪れ、紀州徳川家の繁栄を祈願した。宝暦9年 ( 1759 ) に
本堂を新築。  内部には10代藩主治宝が寄進した多宝塔が安置されている。
本尊の十一面観音は50年に一度開扉される秘仏となっている。寺名は境内の
清浄水・楊柳水・吉祥水の3つの井戸に由来。
   ⇒ 2011年5月21日、高野山へ御礼参りの途中 紀三井寺へ参拝しました


   


         


   
   楼門。


   
金剛力士像。


   
   七鈴観音。


   
   


       
       結縁厄除坂。
 地上より 231段、是より上 210段。  ( 25段、33段、42段、61段 ) と 厄歳を踏み
越える石段が続きます。参詣者泣かせの この急坂は、結縁坂(けちえんざか)と
呼ばれ、次のような”いわれ”が伝えられています。
「江戸時代の豪商・紀ノ国屋文左衛門は、若い頃にはここ紀州に住む、貧しいけれど
孝心篤い青年でした。ある日、母を背負って紀三井寺の表坂を登り、観音様にお詣り
しておりましたところ草履の鼻緒が切れてしまいました。 困っていた文左衛門を見かけ
て鼻緒をすげ替えてくれたのが、和歌浦湾、紀三井寺の真向かいにある玉津島神社
宮司の娘「おかよ」でした。これがきっかけとなり、文左衛門とおかよの間に恋が芽生え
二人は結ばれて後に、文左衛門は宮司の出資金によって船を仕立て、蜜柑と材木を
江戸へ送って大もうけをしました。紀ノ国屋文左衛門の結婚と出世のきっかけとなった
紀三井寺の表坂は、それ以来「結縁坂」と呼ばれるようになったそうです


   
紀三井寺の寺名のもととなったとされる「清浄水」「楊柳水」「吉祥水」の3つの湧き
水の一つで紀三井寺の三井水(さんせいすい)として名水百選に選定されています。
清浄水は参道石段の途中右側にある小滝です。楊柳水はそこから小道を入った突き
当たりにある井戸ですが、遅れては大変、先に本堂でお勤めを、帰りの楽しみに。


   
   石段の右側に、身代り大師堂。


     
     身代り大師。


   
   左側に、滝本院。


        
        男厄除坂。


        
        還暦坂。


      
      六角堂 ( 西國札所の観音を祀る )

   
   
   本堂へ。


     
     護国院鐘楼 ( 国指定重要文化財 )   ⇒ 説明立て札


          
          幸福観音。


   
   大師堂。


         
         本堂正面にかかる扁額「救世殿」と大提灯。


   
   紀三井寺の香炉。


         
         大鰐口。


   


    


         本尊真言・・・・・・・・おんまか きゃろにきゃ そわか


               札所等・・・西国三十三観音霊場 二番札所

 名称・・・ 紀三井山 金剛宝寺紀三井寺
        ( きみいさん こんごうほうじ [ きみいでら ] )  本尊・・・十一面観世音菩薩  
  宗派・・・救世観音宗 ( 総本山 )
  開基・・・為光上人
  創建・・・宝亀 元 ( 770 ) 年
  所在地・・・和歌山県和歌山市紀三井寺1201
 紀三井寺 散華      TEL・・・073-444-1002


   


         
         お身代わり賓頭盧尊者


      
                ⇒ お身代わり賓頭盧尊者 拡大


   
   本堂前。


   
   ごくらく橋の向こうには。


         
         十一面観世音菩薩坐像


   
大師堂横の石段を上ると、正面に三社権現、護国院多宝塔、開山堂と続き本堂前へと
下りる事が出来ます。


   
   三社権現。 左の端に 小さな祠「春子稲荷」があります。

                   春子稲荷 ( はるこいなり )

  天正13 ( 1585 ) 年、豊臣秀吉紀州攻めの時
紀三井寺の法橋徳順の子・平太夫は寺を守る僧兵と
して出陣、しかし僧兵軍は散々な目に遭い、自身も
ひん死の状態で逃げ帰る。 その平太夫にすがって
泣いたのが観音堂につかえる巫女の春子姫。恋仲に
あった平太夫が息をひきとると、春子は 観音堂
こもって お経を唱え始め、やがて声が激しくなると
一匹の白狐となって石段をかけおりました。
白狐は、迫っていた攻撃軍の大将、秀吉に話し合いを求め、秀吉から「 寺に無礼が
あってはならぬ。寺への軍勢の出入りも禁止する 」 という証文をとりつけ、それを
持ち帰り、観音堂で絶命しました。そのお蔭で紀三井寺だけは 焼き討ちをまぬがれ
たと言われています。

           
        
        護国院多宝塔 ( 国指定重要文化財 )


        


       
       護国院多宝塔       ⇒ 拡大


     
     開山堂。


 
 本堂前境内。


        
        慈母観世音菩薩像と修行大師像。


   
千度石と百度参詣塚。               手水舎。


         
         紀三井寺の樟樹 ( 天然記念物 )


   
大樟龍王。                  紀三井寺の樟樹  ⇒ 拡大


   
   境内がら和歌の浦を望む。


   
   「 新仏殿 」 本堂と向かい合って建っています。
   木像立像では日本最大「 大千手十一面観世音菩薩 」 無料公開中でした。


         
         大千手十一面観世音菩薩像。
   高さ 約 12m、重さ 30トンの巨大な仏像は 京都の仏師・松本明慶作で
   寄木立像としては日本最大。3階からも十一面のお顔を拝む事が出来る。


 


          


   
身代り大師堂前の石段を降りて。       更に左へ・・・・・・・・・・・・・・


     

     
   
楊柳水を引き込んだ水飲み場 ( 念のため、飲用の際には煮沸してお飲み下さいと ) 。


          
          清浄水 ( 参道石段の途中右側にある小滝 )
紀三井寺の寺名の基となったとされる「清浄水」「楊柳水」「吉祥水」の3つの湧き水で
紀三井寺の三井水(さんせいすい)として 昭和60年(1985 )名水百選に選定される。
楊柳水はそこから小道を入った突き当たりにある井戸。吉祥水は境内からいったん
楼門を出て右(北)へ数百メートル行ったところにある井戸である。楊柳水と吉祥水は
荒廃していたのを20世紀末に復旧整備したものである。


   
紀三井寺の三井水。   ⇒ 拡大


        


   
   駐車場へ急ぎます。 


    

第12回 西国三十三観音巡り 第十六 番 音羽山 清水寺

   西国三十三観音巡り 第十六 番 音羽山 清水寺



本堂・舞台(国宝)[ 江戸初期 1633( 寛永10 )年再建 ]
清水寺本尊十一面千手観音秘仏 ) を祀る正面十一間 ( 約36メートル )、側面九間
( 約30メートル )、高さ18メートルの堂々たる仏殿で、優美な起り反り曲線を見せ
る寄棟造り・檜皮葺の屋根や軒下に吊る蔀戸など、平安時代の宮殿、貴族の邸宅の面影
を伝え、四囲の音羽山の翠緑と見事に調和しています。


   
 清水寺の開創は1,200余年前、奈良時代末の778(宝亀9)年であります。夢告をうけた
延鎮上人が音羽の滝を尋ねあて、行叡居士に逢い、その際授けられた霊木で観音像を
彫造し、滝上の草庵に祀ったのが始まりです。 その2年後、滝の清水と上人の教えに
導かれ深く観音に帰依し坂ノ上田村麻呂公が、仏殿(本堂)を寄進建立し、本尊十一面
千手観音を安置しました。「清水寺」の寺名は音羽の滝の清泉にちなみます。


         
         茶わん坂 ( 清水寺の塔が見えます )
         市営駐車場へ向かう途中バスの窓から風景です。


    
    清水道へ。

  
     
 三年坂 ( 産寧坂 )     東山散策道路 京の坂みち 三年坂より高谷寺に至る


   


    
    経書堂 ( きょうかくどう )
 清清水道の途中、清水道五条坂、三年坂 ( 産寧坂 ) の合流点の北側にある。
 清水寺塔頭の来迎院の仏堂で、能の「 熊野 」( ゆや )に「 経書堂はこれかとよ 」
 という台詞で登場します。


    


    
    大日堂。
 経書堂の東方、清水道の途中の北側にある。清水寺塔頭真福寺の仏堂である。
 ここに安置されていた大日如来像(重要文化財)は宝蔵殿に移されています。


         
         大日如来像。


    
    宝徳寺。  本尊・・・阿弥陀如来


    


    


    


   


    
    仁王門。( 重要文化財 )
 境内入口に建つ朱塗りの門。三間一戸楼門、入母屋造、檜皮葺きで、正面左右に
 鎌倉時代末期の金剛力士 ( 仁王 )像を安置する。 室町時代の建立で、馬駐 ( うま
 とどめ )、鐘楼とともに寛永6年 ( 1629年 ) の大火をまぬがれました。


    
    馬駐 ( うまとどめ ) 重要文化財
 切妻造、瓦葺きの簡素な建物。その名の通り、参詣者が馬を繋いだところで、
 室町時代の建立。


    


        
        西門 ( 重要文化財
仁王門をくぐって右方の小高い位置に建つ。寛永8年 ( 1631年 ) の建立。切妻造、
檜皮葺きで、形式的には八脚門だが、正面に向拝、背面には軒唐破風 ( のきから
はふ ) を付し、内部には床板と格天井を張る特殊な形式の門である。全面朱塗り、
軒下の組物や蟇股(かえるまた)などは極彩色とするなど、門というよりは神社の拝殿
のように見え、特殊な用途をもった建物と推定されている。


   
三重塔 重要文化財
 この塔は 当山ご本尊観世音菩薩の御霊験によって嵯峨天皇の皇子ご生誕あり
承和十四年 ( 847年 ) 葛井親王が勅名を奉じて創建されたと伝える。
 現在の塔は寛永九年 ( 1632年 ) の再建で、日本最大級の規模を持ち、三間四方、
高さ二九七メートルに達す。昭和六十二年 ( 1987年 ) 文化庁の助成をえ、京都府
起用育委員会に委託して、解体修理、彩色復元の落慶をみた。
一重内陣の中央に大日如来坐像を安置し、四面の壁に真言八祖像、四天丸柱に
密教的な仏画を描き、柱雲天竜、天井その他は飛天、華型 幾何模様が極彩色で
前面荘厳されている。
なお今回の修理で全重を総円塗りに戻し、他塔にその類例を見ない 各重の丸桁
( がんぎよう ) ・ 台輪 ( だいわ ) ・ 長押 ( なげし ) などの各種極彩色文様を
すべて寛永の昔に復元した。
 一重で見るとね軒下の丸桁の両端は 「 摩竭魚 ( まかつぎょ ) 」  中央は 「 金剛盤に宝珠 」
 中段の台輪の両端は 「 出八双卍崩 ( ではっそうまんじくずし ) 円竜 」  中帯は 「 向い蝶 」
 下方の長押の両端は 「 入八双若芽唐草 」  中帯は 「 四弁花竭磨繋 」 の紋様になっている。       北法相宗 清水寺               三重塔 説明板より


   
   随求堂 ( ずいぐどう )
仁王門から参道を進んだ正面に位置する。もとは塔頭慈心院の本堂で、慈心院を中興
した僧・盛松により、享保20年(1735年)に建立された。本尊の秘仏・大随求菩薩像は
八臂の坐像で、享保18年(1733年)の作である。脇侍として吉祥天立像と毘沙門天立像
重要文化財 )を安置していたが、後者は宝蔵殿に移されている。堂の地下の暗闇を
歩く 「 胎内めぐり 」 が行われています。


     


    
    鐘楼(重要文化財
 江戸初期 慶長12年 ( 1607年 ) 再建、切妻造り、本瓦葺で、重い鐘をしっかりと
吊るために六本柱、四方転びの技法を用い、柱に貫を上中下三段・三重に通して
固めてあります。牡丹彫刻の懸魚や菊花彫刻の蟇股に桃山様式の特徴がみられ
ます。梵鐘は室町時代の老鐘に代わり、「 平成梵鐘 」 が平成20年に清水寺門前
会によって奇進されたました。


   
   中興堂 ( ちゅうこうどう )


   
   経堂 ( 重要文化財
 三重塔の隣に建つ入母屋造、瓦葺きの五間堂。寛永再興時の再建。 内部には
 釈迦三尊像 ( 脇侍は文殊菩薩普賢菩薩 ) を安置する。  堂は工芸品などの
 展示場として使用されることもあります。


   
    涅槃会  大涅槃図公開 ( 拝観無料 ) 時間 九時 〜 四時


       


   

          
       


   


   


   


    


   

   
        


   


         
          十一面千手千眼観世音菩薩 ( 御前立 )
十一面千手千眼観世音菩薩は、本堂内々陣の厨子内に安置され三十三年に一度
御開帳されます。普通一般の四十二臂千手観音とは違い、最上の左右二臂を頭上
高く挙げて化仏を戴く独特の「 清水型 」 千手観音で、格別霊験あらたかに聞こえる。
なお千手観音は 『 法華経普門品 ( 観音経 ) 』に加えて『 千手陀羅尼経( 大悲呪 ) 』
などに説かれる抜群の法力を示現される観音中の観音さまです。


    


      本尊御真言・・・・・・・・・おん ばざら たらま きりく


 札所等・・・西国三十三観音霊場 第十六番札所
 名称・・・( 音羽山 ) 清水寺 
 本尊・・・十一面千手千眼観世音菩薩
 宗派・・・北法相宗
 開基・・・延鎮上人
 創建・・・延暦年間 ( 782〜806 )
 所在地・・・京都府京都市東山区清水1-294

   清水寺 散華      TEL・・・075-551-1234


   


         


    


   


         


   


         
         地主神社( じしゅじんじゃ )
 神社や寺院が建立される際に、その土地の地主神を祀るために建立された神社。
 神社の境内に末社として建てられている場合や、寺院に隣接して立地している場合
 がある。寺院に隣接している地主神社は、本来は隣接する寺院の一部( 鎮守社 )で
 あったのが、明治の神仏分離で独立した経緯のあるものがほとんどです。



   
 お勤めの後、奥の院から写真 ( 清水の舞台 ) を撮りたかったのですが人の波に
 押されて奥の院下の石段をおりる。


   
   奥の院舞台下。


   


 


         


   


   
   音羽の滝
 三筋の霊水は大昔より音羽山中より湧き出る清水であり、創建以来一度も枯れる
事なく、今日に至ります。観音様の功徳水でである金色水とも呼ばれて、延命長寿、
諸願成就のご利益があるといわれてきました。 ( 霊水 冥加料 五百円 ) またここは
開山延鎮上人と開基行叡居士が出会つた当山の起源の場であり、現在では不動明
王をご本尊としてお祀りいたしております。
毎月二十八日の不動縁日には朝七時より山内僧侶が揃い、信者と勤行を致します。
是非とも早朝の荘厳な雰囲気の中、共にご参拝頂ければ幸いです。  合掌
                     音羽の滝説明板より


        


 



   


 
 奥之院 ( 重要文化財 ) 江戸初期 1633( 寛永10 )年再建
本堂・舞台と同じく、寄棟造り、檜皮葺屋根は美しい反り曲線を描き、軒下の随所に
極彩色文様の跡が残っています。   秘仏の本尊千手観音は、現存する最も古い
三面千手観音坐像です。現在、清水寺奥之院 ( 重要文化財 )は修復工事中です。


   


   


         
         十一重石塔。
放生池の前にある「十一重石塔」 江戸時代 (1634年 ) に本堂ほか諸堂の再建記念
に建立されました。その左に大久保芳広が建立した「筆塚」があります。


         []
         「 筆塚 」 大久保芳広建立。


   


         


     


   


    
    ひとりはぐれていまいました。


   


   
   仁王門前へ。


    
    約1時間30分 ( お勤めも入れて ) 慌しい清水寺参拝でした。


    
    観光バスで一杯の市営駐車場です、バスを探すのに一苦労・・・・・・・
    

    
    何と !! 一番わかりやすい所に駐車していました。